信じる気持ちの持ち方と行動は別ということ
人を信用する、しないという言葉は、結構高い頻度で耳にするのではないでしょうか。信用できるから友達になる、信頼できるから仕事を任せるなど「信じる」という気持ちや思いは、ひょっとすると全ての行動につながっているのかもしれません。
だから、一度信用をなくすと取り戻すのは大変だと言われるのでしょう。でも、信じているから、信頼しているからと言って、その人の言葉通りに行動したり、考えたりする必要は、全くないのです。信じるという言葉通りの意味と、それへの対処の仕方は実は全く別です。
信じるという謎の気持ちを解明
心理学の分野でアルフレッド・アドラーという心理学者がいます。この人は、パーソナリティ理論や心理療法を確立した研究者とし知られ、信頼と信用など人ととの関わりについて多大な足跡を残しています。
その研究を引き継いだ人は多く、関連する著書では話題になった「嫌われる勇気」や「幸せになる勇気」、「人生に革命が起きる100の言葉」など多くの書籍が出版されています。
アルフレッド・アドラーが唱える信頼とは
アルフレッド・アドラーが唱える信頼とは、たとえ、相手に裏切られる可能性があっても信じるという感覚を持つことが幸福につながると説明しています。
これは、まさに真の一字です。信頼とは何があっても信じることが、相手との共同感覚を高める方法と述べているのです。一方、信用とは何かを担保していて、それを元に信じることです。信用金庫とか、信用取引とかありますね。
ここまで書くと自己啓発を学んでいる方なら「ああ、あの考え方ね」と思われるかもしれません。ここでは、すでに研究として「信じる」ことが対象となっていることを述べるのではなく、その実践方法を続いて説明します。
接する人、全てを信じるとストレスが減る
私が接する人をすべて信じようと思ったのは、実はアルフレッド・アドラーの心理学をしっかり学ぶ以前のことです。私はかつて、信じられる人、信じられない人を、結構、選り分けて考えていました。それは、とても単純でした。
信じられる人とは、一緒にいて心地いい人であり、信じられない人は、逆に心地よくない人でした。そういうのって、無意識のうちに態度にでるのでしょうね。自然と友人の数も減り、どんどん自分の世界に落ち込んでいったように思います。
しかし、ある時、本当に何気なく「人を信じるってどういうことだろう」と素朴に思い、「いっそのこと全部の人を信じてみよう」と考えたのです。実際に心がいうところの「信」とは違うとは思います。なぜなら「全ての人を信用しよう、でも、それに束縛されるかどうかは自分の自由」とも同時に考えたからです。
人を信じる勇気があればストレスを感じない
つまり、最終的には自分の考えや行動が結果となるのですから「人に裏切られる」という思いのみが、私の中から消え去ったのです。対人ストレスがほぼなくなりました。だから、人づきあいがとてもラクになったのです。
人は誰しも最終的には、自分で判断し、行動するものです。信用している人の言葉通りに動く必要もなく、考える必要もない。全ては、自分で判断する。それが、人を信じる行動です。
人の言葉通りに行動するか否かは、すべて自分次第ということなのです。自分にとって、良い行動、悪い行動の判断は、中学生くらいになったら誰でもわかることです。そういう基準で動くと対人ストレスが減って気持ちがとてもラクになります。
大らかな自分を想像してみよう
なんらかの理由で、仲違いした、友人、家族、知人などは、誰しもあると思います。人それぞれに状況教や関係は異なるでしょうが、たとえ言うことが無茶苦茶でも、嘘であっても、その人を信じてみようと考えるのはどうでしょうか。少し見方が変わるかもしれません。大らかな自分を信用することになり、それがストレス減少にもなるのでしょう。
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