はじめに
ほんの数文字か数行の言葉で人の心をパッとつかんで、商品や企業の好感度をアップさせて、強烈に記憶してもらう広告やCMを考えるコピーライター。
そんなコピーライターの職業に就くためには、一体どうすればいいのでしょう?
ここでは僕の体験をもとに紹介していこうと思います。
コピーライターになる4つの方法
もし、これを読んでいるあなたが大学生の場合、コピーライターになる方法は次の2つが考えられます。
(1)新卒で広告会社(広告代理店または広告制作会社)に就職する。
(2)新卒で大きな企業に就職して、宣伝部に所属する。
この2つのどちらかが成功すれば、コピーライターになれるチャンスは、必ずやってきます。新入社員研修を経て、先輩や上司に可愛がられたり叱られたりしていくうちに、おのずとコピーライターになる道はひらかれることでしょう。就活、がんばってくださいね。
しかし、この2つのどちらにも当てはまらない人、新卒でない人は、どうすればいいのか…? その場合は、とにかく広告業界に足を突っ込むことです。その最短方法としてあげられるのが、次の2つです。
(3)コピーライター養成講座にしっかり通う。
(4)いきなりフリーランスとしてデビューする。
いきなりフリーランスとしてデビューする人は、ごくごくまれなパターンでしょう。たしかにコピーライターという職業は、べつに資格があるワケじゃない。「コピーライター」と書かれた名刺をつくってしまえば、今日からすぐにでもなれてしまう職業です。でも、それは現実的じゃないし、無謀すぎますよね。そう考える人には、コピーライター養成講座にしっかり通って広告業界の基礎知識を身につけて転職することをおすすめします。現に僕がそうでした。
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なにも知らない中小企業メーカーの社員時代
コピーライターとは無関係の異業種に勤務。
ここで、ちょっと僕のことについて知ってください。
僕は就職氷河期の世代です。「ロスト・ジェネレーション世代」…いわゆる「ロスジェネ世代」ともよばれています。半年ほど大学を就職留年した末に、やむなく産業ロボットを製造・販売している中小企業の精密機器メーカーに入社しました。その会社での僕の仕事は、ロボットの部品を調達することでした。町工場の職人さんに部品の図面を見せて「こいつを1週間後までに10,000個つくってくれますか」と頼んだり、商社さんに「海外のこのモーターを売ってくれ」と注文したりしていたのです。まだインターネットがまったく普及していない時代。そういったやりとりは、すべて電話するか会って話すかして業務をおこなっていました。
「マニュアルをつくれ」という社命。
ある日のこと。平社員の僕は社長室に呼ばれました。べつに悪いことなどした覚えはないのに。
部屋に入るとダブルのスーツ姿の社長、そして僕と同じ作業服姿の役員連中がズラリ。常務がにこやかな表情でまず口火を切りました。
「おー淺野クン。ちょっとキミに頼みたいことがあるんや」
「な…何でしょう」
直立不動で緊張している僕などお構いなしに、常務はつづけて言いました。
「うちのロボットの製造マニュアル。キミ、つくってくれへんか」
「へっ?」
声が裏返りました。この人は何を言っているんだろう。
「淺野クン。キミ、たしか国立の大学の出身だったよね」
社長が割って入ってきました。
「はい…」
呆然として覇気のない返事しかできない。しかし社長はつづけます。
「淺野クンは、ISO9001って聞いたことあるか?」
「あ、はい…。新聞で読んだことはあります。たしか品質に関係するんですよね」
ウンウンとうなずきながら社長が笑みを浮かべます。
「そう! そのISO9001を、うちも取ろうと思っているんだ!」
「はぁ…」
ここまで読んで何のことかサッパリという人のために説明しますね。
まず、ISO9001のISOとは「国際標準化機構」の英語を略したものです。そして、9001という数字はその機構が定める品質規格のこと。早い話が、「おたくのつくる製品はつねに品質が一定していてスバラシイですね」とエライさんから太鼓判を押してもらえることと思っていいです。1990年~2000年にかけて、日本の中小企業のあいだではISO9001を取得しようというブームがあったのです。つまり、そのブームに僕の会社も乗っかろうということでした。
そのISO9001を取得する条件に、企業は製造マニュアルをちゃんと編集して持っていなければならないという決まりがありました。そのマニュアルを見れば、熟練工がつくっても、パートのおばちゃんがつくっても、アルバイトの学生さんがつくっても、一定の高い品質を保った製品ができあがるしくみになっている。
で、そのマニュアルづくりに、なぜか僕が任命されたのです。ただ単に国立大学出身だという理由で――。
ムズカシすぎずに、カンタンすぎずに。
とにもかくにも製造マニュアルの編集がはじまったワケですけど、その作業は意外にも難航しました。というのも、産業ロボットを組み立てる工程は、専門用語が多くてムズカシすぎる。だから業界の専門用語のことをよく知らないパートのおばちゃんやアルバイトの学生さんでもわかる言葉に置きかえて、かみ砕いた文章にしたのです。ところがそのマニュアルは、熟練工のおっちゃんたちから大きな反発を食らいました。「お前、俺たちをナメてるのか」と。そこで、そのおっちゃんたち用に専門用語をちょくちょく混ぜるようにしました。すると今度はパートのおばちゃんたちから苦情が殺到したのです。「兄ちゃん、これどういう意味? わからん」と。おっちゃんとおばちゃんの間を何度も何度も往復しながら、両者が折り合う言葉のチョイスに、相当な時間と労力を費やしました。
自分の書いた言葉で伝えるって、おもしろい。
そうして製造マニュアルを完成させて、僕の会社は何とかISO9001の認証を取得することができました。これで晴れて万々歳。やっとこの編集から解放されると思ったとき、同時に心の隅でこう思っていました。「タイヘンな作業だったけど、とても達成感のある仕事だな…。もし、こんなことをナリワイとする仕事があったら、そっち方面に転職したほうが向いているかも…」
自分の書いた文章で人に何かを伝える喜びに、目覚めた瞬間でもありました。
宣伝会議コピーライター養成講座との出逢い
ん? コピーライターって何?
それは本当に、たまたま手にしたときのことでした。仕事が終わって帰宅する途中、何気なくフラッと入ったコンビニの雑誌コーナーで、就職情報誌の立ち読みをしたのです。その情報誌の特集に、宣伝会議という出版社が主催するコピーライター養成講座なるものが紹介されていました。正確なタイトルは忘れたけれど、『あなたのコトバで人が動く』とか何とかということが書かれていたと思います。そのタイトルに妙に惹かれて僕は「コピーライターって何だろう…? よくわからないけどモノを書くことが仕事なのはたしかだな。ちょっとのぞいてみようかな」と思ったのです。そして気づいたら、受講料を払い終わって翌月から始まる開講式の講義を受ける準備を済ませていました。
ヤバい、飲み会のお酒がおいしくない。
ほとんど「冷やかし」に近い状態で宣伝会議のコピーライター養成講座にのぞんだ初日、僕はすぐに自分の行動が浅はかだったことに気づきました。
僕はド近眼なので講座の会場の最前列に座りました。あとで知ったことなのですが、宣伝会議コピーライター養成講座の会場の最前列というのは、広告業界への就職に命をかけている学生さんや「絶対コピーライターになってやる!」と意気込んでいる転職活動組の人たちが埋まっている絶対領域。その熱気というか闘志というか、そういうものに囲まれてしまったワケです。
僕は「うわぁ、こりゃ僕がいる雰囲気じゃないな」とあせりました。
それから、その講義後に開かれた飲み会は、僕にとっては最悪でした。みんな誰それの書いたコピーはいいだの、あのコピーライターはステキだの、それぞれが自分の持っている広告知識をひけらかしあって盛りあがっている。僕はその輪に溶けこめない。
こんなのが半年もつづくのか…とヘコんでいたら、飲んでいるお酒がマズく感じてきました。
そして、だんだん酔いがまわってきた僕は「このままじゃイカン!」とあることを思い立ったのでした。
コピー年鑑を全巻そろえて読破・写経する。
講義後の飲み会で、もうマズいお酒は飲みたくない。その一心だけでした。
幸い、僕の住んでいる京都は「学生の街」とよばれるだけあって古本屋がいっぱいある。そこをいろいろ歩きまわって、東京コピーライターズクラブが毎年出しているコピー年鑑を第1巻の1963年版から最新版までの全巻を安い値段で買いそろえることができました。
それだけにとどまらず、コピーライターや広告に関係する古本なら、とにかく何でもかんでも買いこんでは読みあさる。付せんを貼ってメモしたり、蛍光ペンでラインを引いたりしながら、読んで、読んで、読みまくる。コピー年鑑の「写経」もせっせとしました。新聞広告の切り抜き作業もしましたね。定期購読していた新聞の気になった広告を収集して、ボディコピーの「写経」も欠かさずしていました。
その成果はすぐに現れて、受講生120人のなかの成績上位10人だけに与えられる「金の鉛筆」は毎回いつも必ず複数もらっていて、その期の宣伝会議コピーライター養成講座をぶっちぎりのトップの成績で修了することができたのです。
講義後の飲み会のお酒は、いつしかみんなでワイワイ盛りあがって楽しめる、おいしいものに変わっていました。
眞木隼さんのひと言で、事態が急変。
僕が受講した宣伝会議コピーライター養成講座の修了式には、『でっかいどお。北海道』や、『あんたも発展途上人。』、『恋を何年、休んでますか。』など数々の名コピーを生み出した眞木準さんが特別講師としてやってきました。講義の内容はほとんど忘れてしまったけれど、そのあとの飲み会の出来事のほうが、僕にとっては強烈な記憶として残っています。
飲み会の席で眞木さんは、おもむろに言いました。
「ところで、今期の受講生のなかで、いちばん多く金の鉛筆をもらったのは誰?」
みんな黙って視線だけを僕にザッと向ける。それを察して僕は手を小さくあげました。
「あ、はい…僕です」
すると眞木さんはたずねてきました。
「何本とったの?」
「20本以上かな…。スイマセン、ちゃんと数えてなくて」
「20本以上! スゴい! キミはプロかい? どこの代理店? それとも制作会社?」
僕は顔をブンブン左右に振ってあわてて否定しました。
「いえいえ、全然プロじゃないです! 僕、広告業界じゃない中小企業の人間なんです」
眞木さんは首をかしげながらつづけます。
「えーと、じゃあ、その会社の宣伝部とか?」
「いえ、そんな部署ありません。僕、産業ロボットの部品調達をしているんです」
「えっ、何それ!?」
目をキラキラさせながらたずねてくる眞木さん。好奇心いっぱいに僕の素性を確かめにきてくるので、僕はそれにひとつひとつゆっくり答えていきました。町工場の職人さんと交渉したり商社の人に電話したりしています…と。そして、コピー年鑑を全巻そろえて読破・写経していることも、コピーの「コ」の字がつく古本はだいたい買いあさって読みつくしたことも告げました。
ひとしきり僕の説明が終わると、眞木さんはグッと身を乗りだして僕に語りかけました。
「淺野クンさ、もったいないよ。プロになりなよ。絶対コピーライターに向いているから」
僕は頭をかきながら答えました。
「いや…でも、僕は広告業界にコネもツテもないし、どうしたらコピーライターになれるのか、正直わからないんですよね」
すると眞木さんは僕から視線をはずしてキョロキョロしました。
「おい、ちょっと宣伝会議の人いる?」
すると宣伝会議の取締役員っぽい人がやってきて、眞木さんの横にピタッとつき、何でしょうと片膝をついて命令を待つ姿勢に。まるで将軍と小姓みたいだ。
眞木さんは言います。
「ちょっとこの淺野クンをさ、キミの会社で何とかしてコピーライターになれるよう、ちゃんと面倒みてあげなよ」
「はっ、わかりました」
話がどんどん先に進んでいく。一体どういうことなんだろう。宣伝会議の取締役員っぽい人が僕をにらみつけてくる。そしてこう切り出したのです。
「淺野クン、キミはしばらくうちで働きなさい。宣伝会議は全面的に淺野クンをサポートする」
「ええぇっ!?」
深夜のバーで思わず大きい声をあげてしまいました。
「ど…どういうことですか?」
僕は問いただしました。何のことだかサッパリだ。すると宣伝会議の人が言いました。
「宣伝会議は広告業界専門の出版社だ。広告業界のことなら何でも知っている。うちで働いていれば広告会社の人たちと普通の人よりも多く接触できる。やがて知り合いも増えていくだろう。そこで自分をじゃんじゃんアピールしていけば、コピーライターになれるチャンスがおのずと向こうからやってくる。だから、いまいる会社なんかでくすぶっていないで、うちで働こうよ」
「僕なんかで本当にいいんですか?」
「ああ。即決でOKだよ」
こうして僕は、翌月から宣伝会議で働くことになったのでした。
宣伝会議でアルバイト&転職活動
昼は社員として、夜は受講生として。
宣伝会議の社員として働くことになった僕の立ち位置は、とても特殊なものでした。朝9時に出勤して夕方6時までは営業アシスタントとして働き、それ以降の時間はコピーライター養成講座の上級コースの受講生として講義を受けることが許されました。受講するのは上級コースだけじゃありません。SPプランナー講座、編集ライター養成講座なども聞き放題。乾いたスポンジが水をグングン吸収していくかのように、僕の広告業界の知識は半端なく広がっていって、コピーライター養成講座の基礎コースに通っていただけでは得られなかったことも学ぶことができました。
昼間の営業活動は、講座に登壇する広告クリエイターさんとの事前打ち合わせや会場の手配、スケジュール管理。あと、やはり宣伝会議は出版社なので、書店営業も行いました。宣伝会議の出版する雑誌に求人広告を載せませんか…と広告会社に営業することもあって、彼らがどんな人材を求めているのかを具体的に把握することができました。
未経験者でも、どんどん応募していい。
求人広告を載せませんかと広告会社に営業をしているときに、僕はいつも疑問に感じていることがありました。それは、どの会社も必ずといっていいほど「経験3年以上」などと注意書きをつけて人材を募集している。これでは僕のような未経験者が入りこむ余地はないじゃないか。
一度、宣伝会議の雑誌に掲載する求人広告の「青焼き」をもらいに、ある制作会社のところに行ったとき、そこの社長さんに聞いてみたことがありました。
「何でどこの会社さんも経験者しか採らないんですかね? 僕、コピーライターになりたいと思っているんですけど、未経験者だからその時点で応募するの、あきらめちゃうんですよ」
するとその社長さんは言いました。
「いや、べつに未経験者でもいいんだよ。即戦力になってくれれば。遠慮せずどんどん応募していいんじゃない?」
えっ、そうなの? ビックリしました。じゃあ即戦力かどうかはどうやって確かめるんですかとさらに聞いてみました。
「んー、ポートフォリオ次第かな」
ぽーとふぉりお? 初めて聞く言葉でした。
「作品集だよ。これまでこういうモノを作ってきました…と実績をアピールできるもの」
その作品集ってコピーライター養成講座で「金の鉛筆」をもらった課題でもOKなのかな? と思ってたずねてみました。
「うーん、ちゃんと自己アピールできていればOKだね。そんなの、自分からどんどんアピールしていかなきゃ損だよ。要は数うちゃ当たるだよ。この業界に入りたいなら、それくらいガッツがないとね」
そうなんだ! 目からウロコでした。僕はそれまで履歴書と職務経歴書しか準備していませんでした。養成講座の課題を添付することなんて思いもつかなかったのです。
「ただ、そのポートフォリオに載せる課題だけど、単にコピー1本だけを見せられても、こちらは困るけどね。そこは創意工夫だね」
たしかに。僕が社長さんの立場なら同じように思う。うーん、創意工夫か。ちょっと考えよう。今日はいいこと聞けたな…と、その制作会社をあとにしました。
未経験者の、熱い、厚いポートフォリオ。
コピーライター養成講座の課題のコピーをポートフォリオにするために、僕はいま一度、自分のこれまでの成績を見直してみました。その際、次のことをリストアップしました。
(1)出された課題
(2)提出したコピー
(3)そのコピーが生まれた市場背景と企画意図
(4)講師の講評(具体的に)
(5)その講評を受けて自分で反省または改善したこと
これらをPowerPointとWordを使ってA4用紙にキレイにまとめました。ボディコピーが必要だなと思うものがあったら新たにつけ加えて、平面媒体を想定した課題の場合はビジュアルをつけて実際の広告っぽく仕上げました。「金の鉛筆」をもらった課題1つにつき1ページ。そうしてつくっていたら30ページ以上にもなってしまい、ホチキスではとめられない厚さになったので、印刷業者に頼んで「冊子」にしてもらいました。
履歴書と職務経歴書に、この「冊子」を添付してコピーライター募集の求人広告を出している広告会社にかたっぱしに応募していったところ、それまでカスリもしなかった書類審査がポツポツと通過するようになり、面接したいという会社が現われはじめたのです。
面接まで進んだどの会社も「ここまでまとめている養成講座出身者はいない」と口をそろえて言われました。聞けば、たいていは(1)と(2)で終わっていて、それを「作品」と称して応募してくる人があとを絶たないのだとか。また、この「冊子」が他の養成講座出身者よりも優れているのは、(3)と(5)でちゃんと分析されている点だということも何社か受けてわかりました。
むしろ未経験者こそ、面接では堂々と。
「冊子」のポートフォリオが効いたのでしょうか。面接までこぎつけることが多くなりました。ただ、そこから先がムズカシい。面接するとカチコチに緊張して、言いたいことの半分も伝えられずに終わってしまうことがほとんどでした。不採用になった会社の数は50社を超えていたと思います。
何がどう悪いんだろう? 自問自答してみたところ、あることに気づきました。
それは、未経験だからという理由で、妙に萎縮していたということ。
いま振り返ってみれば、「コピーライターの経験者を募集しているところに、ワタクシごとき未経験者が応募して、まことに申しわけないですが…」と恐縮した気持ちで面接にのぞんでいたときほど、不採用の雰囲気がすでに漂っていたような気がします。
・未経験の「未」は、未知数の「未」だ。
・やってみなくちゃ、わからないでしょ。
・使える人材かどうかは試用期間中に見極めてください。
それくらいの気がまえでのぞんでいくくらいが、ちょうどいいと思います。
事実、そういうスタンスに切り替えたおかげで、僕はやっと面接を通過することができ、晴れてコピーライターとして広告会社に採用されました。もっと早くに気がついていれば、僕の就職活動は50社以上も落ちたりせずに、スムーズに進んでいただろうと思います。
面接のときに注意すべきポイント。
あと、面接で気をつけなければならないことは、伝えるのは「コピーライターになりたい!」という『熱意』じゃなく、「コピーライターとしてこういうことができます!」という『能力』だということ。ここを勘ちがいしている人が意外に多い。
たとえば、あなたはデートか何かでイタリア料理店に行ったとします。ピザのマルゲリータが大好物で早く食べたいと思っているとしましょう。さて、あなたなら次のどちらのシェフに注文しますか?
(A)わたしもマルゲリータ大好物です!
(B)マルゲリータはうちの自信作です!
おそらくあなたは(B)のシェフに注文するのではないでしょうか。そのシェフ個人が大好きかどうかなんて注文する客にとっては知ったこっちゃない。
それと同じことで、「コピーライターになりたい!」というあなたの気持ちなど、採用する側にとってはどうでもよく、「良質なコピーが書けます!」という人のほうがはるかに魅力的なのです。
僕の場合、精密機器メーカーでISO9001を取得するために編集したマニュアルの話が面接で好印象を持たれました。のちに、採用してくれた広告会社のクリエイティブ・ディレクターにおしえてもらったのですが、僕の話を聞いて「こいつ編集能力あるな」「ちゃんと言葉のチョイスができる奴だな」と思ったのだそうです。
ここを注意しておかないと、せっかくの自己アピールの機会もトンチンカンなものになってムダに終わってしまいます。くれぐれも用心してくださいね。
広告会社でコピーライターとして歩みだす
コピーを考えることだけが仕事じゃない。
さあ、コピーライターとして広告会社に就職が決まった初日。一発目の仕事は何だろう…? ドキドキワクワクしていたのですが、実際はとても地味なものでした。
デザイナーさんが何だかいっぱい紙の束を持ってきて、僕に渡してこう言ってきたのです。
「ちょっと、これ…もうすぐ入校するから、いちおう校正してくれる?」
「コウセイ?」
「うん。これ午前中に出すから、文字まちがってないか最終チェックして」
「はぁ…」
渡されたのは、まっさらな広告の原稿1枚といっぱい赤ペンで添削されているクシャクシャな広告の原稿の束。そのクシャクシャが、まっさらな1枚にちゃんと反映されているかどうかを目で追ってチェックしてくれというものでした。
「そんなこと自分でやればいいのに…」
心のなかでつぶやいたのですが、まあ言われたとおり目で追っていきました。赤ペンでなぐり書きで添削されている文字はきたなくて、読みにくかったのを覚えています。
チェックは30分も経たずに終わりました。べつにおかしいところなど何もありません。
「あのぅ、見ました」
「あ…そ。で、何かおかしいところあった?」
「べつになかったです」
「あ…そ。ありがとう」
これが最初の仕事でした。何なんだ? 文字を目で追うことしかやってないぞ。こんな作業だけでいいのかな? ちょっと不安になりました。コピーライター養成講座で出されていた課題のようにコピーを考える仕事はないのか?
次にクリエイティブ・ディレクターがビデオテープを1本持ってきて言いました。
「このビデオでしゃべっている人の声、パソコンで文字にしてくれるか?」
「はい?」
「よくテレビの番組とかで字幕スーパーが出てくるだろ? あれだよ」
「はぁ…」
言われたとおりビデオを再生して見て、ひとりの女性が淡々としゃべっている言葉を、パソコンのWordで入力していきました。再生して見たビデオの時間は3分もなかったので、これも30分ほどで終わることができました。
「あのぅ、終わりました」
「そっか。文字、プリントアウトして見せて」
「あ…はい」
プリントアウトしてクリエイティブ・ディレクターに渡しました。ほんの数秒スラッと目を通して彼は言いました。
「OK。ありがとう」
何なんだ? ビデオの内容を文字にしただけだぞ。こんな作業だけでいいのか? こんなことべつに僕じゃなくてもできるじゃないか。
そんな作業が入社して1か月ほどつづきました。ちょっとした校正かリライトか、文字起こし。何だかこんな作業だけで給料をもらうことが申しわけなく感じました。
けど、これは序章にすぎなかったのです。
30分以内にコピー100本以上書いて。
入社して1か月ほど経ったある日の朝のことでした。先輩コピーライターが何やらあわてていました。
「あのぅ…どうしたんです? 何か手伝いましょうか?」
僕はカチャカチャとパソコンに向かってタイピングしている先輩コピーライターに言いました。
「おう。じゃあ、ちょっと頼まれてくれるか」
「あ…はい」
先輩コピーライターは、ある家電製品のカタログを一冊パサッと僕に渡して言いました。
「いまからこのカタログのクライアントが打ち合わせに来るんだ。それまでにこのカタログの小見出しの代案、それぞれ5案ほど考えてくれるか?」
「えっ…」
カタログは40ページほどでした。パラパラ…とめくってみると、見開きごとに大きな見出しが書かれていて、その下には家電製品に関する各機能が写真やイラストをまぜながら細かく紹介されています。小見出しとはその各機能のボディコピーのタイトルとなる10文字ほどのコピーのことでした。小見出しは合計20個ほどありました。
「わ…わかりました。で、いつまでに?」
「30分後」
「えっ!」
単純計算で30分後に20個×5案で100本。しかも、いまカタログを渡されて、この家電製品の予備知識も何もない状態で…。どうしたらいいんだろう。
「ボーッとしてないで、書くなら早く書いてくれるか」
「は…はいっ!」
もうガムシャラでした。ただ救いだったのは、一から新しく考えるのではなく「代案」なので、テニヲハを変えたり、倒置にしたり、類義語に置きかえたりするくらいでよかったということ。元ネタとなる見出しのバリエーションなのでそんなに苦じゃありませんでした。
30分後、僕は何とか小見出しの代案をそれぞれ5案ずつ書きあげることができました。先輩コピーライターは「助かったよ」とひと言だけ残してクライアントが待っている打ち合わせ室に行きました。
そろそろ本気出してもらおうか。
100本の小見出しコピーを書き終えたその日の午後…。僕はクリエイティブ・ディレクターに打ち合わせ室に来るように言われました。中に入ると、先輩コピーライターとデザイナー2人がすでに席についていました。 何の打ち合わせだろう? そこへ「じゃあ始めようか」と最後にクリエイティブ・ディレクターが入ってきてA4用紙1枚をみんなに配りました。それは、国内大手家電メーカーのデジカメ数種類のスペックが書かれたオリエンシートでした。制作物は28ページのカタログ。プレゼンは3週間後。オリエンシートを見てそれは把握できました。ひとしきりクリエイティブ・ディレクターは概要を説明したあと、僕に言いました。
「というワケで淺野。明日の朝、このカタログのページネーション出してくれ」
「あ…はい!」
来た! やっとコピーライターらしい仕事だ。デジカメのカタログの編集か…。編集といえば、ISO9001の製造マニュアルづくり以来だな。僕はドキドキしました。
「あ…そうそう。もちろんカタログのイントロのキャッチコピーも忘れずに」
「はい」
おお、これこそコピーライターの仕事! 僕のドキドキは止まりません。先輩コピーライターが補足するかのように言ってきました。
「他社のカタログも集めておいてくれる? どういう傾向かチェックしておきたいから」
「あ…はい」
たしかにそうだ。ライバル企業の傾向も知っておかないと差別化できないもんな…。とりあえずこの打ち合わせが終わったら大型家電量販店に直行しよう。
「淺野にも、そろそろ本気出してもらわないとな」
クリエイティブ・ディレクターはそう言って、デジカメのカタログの打ち合わせを終わらせました。
いきなりディレクターも兼務。
翌日の朝10時。打ち合わせ室に昨日のメンバーが集まりました。それぞれ筆記用具のほかにA4用紙の紙の束や他社のカタログ、写真集などを持ちよっています。僕は昨日言われたとおりページネーションを考えて、それを描いたA4用紙をみんなに配布しました。
「よーし、じゃあこのページネーションを叩き台に、みんなでアイデア詰めていこうか」
クリエイティブ・ディレクターが言いました。もうすでに僕のページネーションが「叩き台」ということになっている。それだけ信頼されているということなんだろうか? ダメ出しとか食らうんじゃないかな…。いろんな気持ちが入り乱れながら、いわゆる「ブレスト」が始まりました。
それから何時間が経っただろう…。僕の考えたページネーションは本当に「叩き台」でした。みんなから、ああでもないこうでもないと言われて、赤ペンの添削が入ったり、ページの順番を入れ替えられたり、はたまた上から写真を貼りつけられたり…。気がつけば、僕のもともとの案はどこに行ったんだというくらい原形をとどめていませんでした。
夕方3時ごろ。ひととおりカタログの広告表現の方向性が決まりました。
「よし、じゃあ淺野はこれを整理して、みんなに再配布たのむわ。あ…それと、このカタログの世界観もまかせるから、デザイナー2人に指示してあげて」
「えっ…指示…ですか…。世界観の…?」
僕みたいなぺーぺーの新米が指示していいんだろうか? そんな気持ちから発した言葉でした。
「うん。これ考えたの淺野だし、どうしたいのか、ちゃんとデザイナーに指示しないとな」
いやいやいやいや…。これ考えたの…って、もう僕の考えたページネーションの原形は全然ないじゃないですか。僕はそう言いたくなりました。
「わからんこと出てきたら、俺サポートするって」
と先輩コピーライターが言ってくれました。ありがたい。たぶん、ほとんど頼みっぱなしになるかと思うけれど、とりあえず自分でもがんばってみよう。
こうして僕は、コピーライター兼ディレクターとしてデジカメのカタログの制作担当としていきなりデビューすることになったのでした。
おわりに
気がつけば、コピーライター兼ディレクターとして15年以上のキャリア。これまでいろんな経験を積んできました。カタログ、新聞広告、テレビCM、店頭ポスター、商品のネーミング…。はたまた海外の広告物の制作にもたずさわったことがありました。それにともない、たくさんの広告賞もいただくことができました。
紆余曲折を経ていまの自分があると思います。いろんな人に支えてもらってきました。最後にこれを読んでいただいたすべての人に感謝の意をこめて言わせてください。
コピーライターへの就職活動、みなさんもぜひがんばってください!
著者 淺野俊輔(あさのしゅんすけ)
1972年生まれ・京都府出身
大学を卒業後、地元の精密機器メーカーに入社。各工程のマニュアルの編集・作成に取り組み、ISO9001認証取得に大きく貢献。宣伝会議コピーライター養成講座を首席で修了したのち、同社の営業アシスタントを経て広告業界に転職。現在は、フリーランスのコピーライターとして活動。
【主な広告賞受賞歴】
・第42回宣伝会議賞「霧島酒造」協賛企業賞
・第43回宣伝会議賞「アルペン」協賛企業賞
・第44回宣伝会議賞「エプソン」協賛企業賞
・第45回宣伝会議賞「コクヨファニチャー」協賛企業賞
・第46回宣伝会議賞「クレディセゾン」協賛企業賞
・第47回宣伝会議賞「霧島酒造」協賛企業賞
・第55回宣伝会議賞「コンチネンタルタイヤ」協賛企業賞
・第55回宣伝会議賞「日本レジストリサービス」協賛企業賞
・第57回宣伝会議賞「エトヴォス」ファイナリスト
・2006年8月朝日広告賞「関西電力」月間賞
・第74回毎日広告デザイン賞第3部準部門賞
・読売関西広告賞(21世紀メルク賞)優秀賞
・消費者のためになった広告コンクール 銅賞
・第48回ビジネス広告大賞「フルスペース部門」銀賞
Twitter: @ashunsuke
Facebook: https://www.facebook.com/shunsuke.asano1
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オウンドメディアは「サブ丸(サブマル)」にお任せ
オウンドメディアのサブスクリプションサービスの「サブ丸」。その特長は、面倒なサイト設計から記事作成、運営までをまるごとお任せできること。しかも初期費用は0円の毎月定額制(7万円〜12万円(税別))となっています。主な特長は次の通りです。
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