身代わり力とは
身代わり力とは、誰かの身代わりになって自己犠牲を行う力ではない。自分自身で何かを演じることで、ストレスから逃れたり、挑戦する力のことだ。困った時や問題が生じた時に身代わり力を使う。
あなたはあなたを演じているに過ぎない
「この世は舞台、男も女も皆役者にすぎない」
とは、シェイクスピアの作品、お気に召すままの台詞である。
たった一人の人間の一生という舞台で、その人物は様々な役を演じるということをシェイクスピアは述べている。実際、現代社会にもこれは当てはまる。
マイメロ論は身代わり力を使うメソッドのひとつ
マイメロ論というものをご存知だろうか。アナウンサーの宇垣美里アナがコラムで書いたものだ。インターネット上で多くの共感を得て話題になったため、ご存じの方も多いのではないだろうか。
このマイメロ論というのは、宇垣アナが、世の中の不条理を感じた際に、サンリオのマイメロディのキャラのごとく、「私はマイメロだよ―☆難しいことはよくわかんないしイチゴ食べたいでーす。」と思えばたいていのことはどうでもよくなる、というものである。
この宇垣アナのマイメロ論では、実際に自らの精神をすり減らさないために、頭の中で、マイメロを身代わりにしているのだ。
対処できない問題が発生した時に演じることで乗り越える
今いる自分では対処できない時、人は別の自分を身代わりにする。そのために、人は、生きていくために役者であらざるを得ない。
同時に、意識的に役者であらねばならない。役者はすべての立場や、役割、職業になる可能性があって、何者にでもなる可能性がある。しかしそれらは役者自身のものではない。
いまある自分の立場や性格、属性は身代わりに過ぎないのだ。みがわり力とは、自分が何者であるかを固定しない力だ。
身代わり力を駆使して自己変化して困難に立ち向かう
すべての人間には変化の可能性がある。
忘れてはいけないのは、見方を変えれば自分はいつでも演者で、いつでも店員で、いつでも作家で、いつでも学生で、いつでも保護者で、いつでも大人であったり、子どもであったり、いつでも無職で、いつでも裕福で、それらはすべてそのときどきの身代わりの姿であるということだ。
この身代わりの姿に自覚的で扱いを心得ている人は、身代わり力がある。
そして、それを持つ人々は、自己変化や自己革新によってステージを変化させることができる