新しい働き方の波が押し寄せています。リモートワーク、テレワークといった言葉が日常に溶け込み、働き方改革やアフターコロナの時代が到来しています。
しかし、新しい時代に合わせて働き方を変えるというのは本当に正しいのでしょうか?古い働き方からの脱却は容易ではなく、単純な変更だけでは根本的な解決にはならないかもしれません。
そこで、今回の記事では、戦国時代の経営術として信長、秀吉、家康の各時代の働き方に焦点を当てます。戦国時代は今よりも激しい時代の変化がありましたが、その中で武将たちがどのように国を治め、どんな働き方を展開していたのかを探ります。
意外にも、戦国時代の働き方には現代ビジネスに通じる部分が多く存在します。どのような時代背景で、どんな働き方が展開されていたのか?この記事を通して、古の智慧から学び、今日のビジネスに活かす戦略と哲学を探求しましょう。
そもそも働き方とは
「働き方」とは、個人や組織が仕事を行う方法やスタイルを指し、労働時間、場所、雇用形態、コミュニケーション、ワークライフバランス、仕事の内容とスキルなど、多くの要素に関連します。
個人のライフスタイルや価値観、組織の文化やビジョンに合わせて異なり、テクノロジーの進化や社会的な変化によって多様性が増しています。地域や国による労働法や規制も影響を与え、働き方は個人と組織の両方にとって重要な要素となっています。
新しい働き方が求められる理由を歴史から考える
時代の変化とともに働き方も変わります。戦国時代から江戸時代初期にかけての日本は、その最たる例です。信長、秀吉、家康の各時代における経営と働き方の変化を通して、現代の働き方改革にどう活かせるのかを探ります。
信長、秀吉、家康の時代における経営と働き方の変化
時代が大きく変化するとき、古い経営と働き方は新しい経営と働き方へと変わります。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康が君臨した戦国時代末期から江戸時代初期を例にしましょう。
半世紀という短い期間に国の統治システムが3度も変わったことから、経営と働き方も次のように変化しました。
信長時代の経営と働き方
外政や内政、合戦で休む間もないほど大忙し。天下統一に向けて有力武将を東西南北に派遣したため、各方面で熾烈な出世競争も勃発。成果を上げれば百姓出身でも城持ち大名に抜擢される一方、仕事ができなければ先祖代々の家臣でも容赦なく解雇された。
秀吉時代の経営と働き方
大名が豊臣家の家臣となったため、働き方も一新。個別に仕事に取り組んで出世を試みていた働き方が、より大きな成果を出せるように垣根を越えて協力するように。例えば朝鮮出兵では、渡海して戦うグループと内地に残って兵站を管理するグループに各大名が分かれて、それぞれの役割を担当した。
家康時代の経営と働き方
各大名が譜代や外様に分類され、それぞれに領地が与えられる。旗本制の導入など、一介の武士の身分も細かく統制された。さらに士農工商と庶民の身分も固定。職業は世襲が主となった。低い身分から抜擢されるケースもあるものの、能力だけでなく主君への忠義心が評価される時代になった。
これからの経営と働き方を考えるヒントが歴史にある
信長、秀吉、家康と、それぞれで経営方針が異なり、働き方がまったく異なるところが興味深いですね。
武士や侍というと忠義に厚いイメージがありますが、それは近世、近代以降に根付いたイメージです(「武士道」という言葉が一般化したのも明治時代です)。
伊勢津藩の初代藩主・藤堂高虎は「7度主君を変えねば武士とはいえぬ」と語るなど、実力をより高く評価してくれる主君に仕えることが戦国時代の常識だったのです。
その流動的な働き方が時代と共に落ち着いていったわけですが、実はここに、これからの働き方を考えるヒントが隠されています。
現代と戦国時代の働き方の共通点
戦国時代の流動的な働き方は、現代のフリーランスや多様なキャリアパスに通じるものがあります。忠誠心よりも実力と成果が重視される風潮は、今日の多くの企業での働き方に反映されています。
未来の働き方への示唆
戦国時代の働き方から学べることは、柔軟な思考と変化への適応能力の重要性です。これからの経営と働き方を考える際に、歴史からの教訓を活かし、新しい時代に合った働き方を創造するためのインスピレーションとすることができます。
もちろん、内容をさらにボリュームアップし、丁寧に説明します。以下は、新しいセクションとして追加される内容です。
成果主義から終身雇用へと経営が変化した戦国時代
戦国時代の経営と働き方の変化は、現代の働き方の多様性と共通点を持っています。信長時代の成果主義、秀吉時代の協力体制、家康時代の終身雇用など、それぞれの時代での働き方は、現代の働き方の進化と共鳴します。
働き方1.0〜5.0とは
新しい経営や働き方とは、そもそも何なのでしょうか。働き方の進化について理解するために、以下の定義が参考になります。
働き方1.0
年功序列・終身雇用の日本的雇用慣行。戦国時代の家康の時代に見られるような、身分や地位が固定された働き方に似ています。
働き方2.0
成果主義にもとづいたグローバルスタンダード。信長の時代のように、成果を上げれば報酬が上がる、逆に成果が出なければ解雇されるといった働き方です。
働き方3.0
プロジェクト単位でスペシャリストが離合集散するシリコンバレー型。特定のプロジェクトに特化したスキルを持つ人々が集まり、プロジェクトが終了すると解散する働き方。
働き方4.0
フリーエージェント(ギグエコノミー)。単発の仕事を受注する働き方で、自由に様々なプロジェクトに参加することができます。
働き方5.0
機械がすべての仕事を行うユートピア/ディストピア。人間の労働が必要なくなる未来の働き方のビジョンです。
戦国時代と現代の働き方の対比
戦国時代の各武将の経営と働き方は、現代の働き方1.0から5.0と対比することができます。信長の成果主義は働き方2.0、家康の終身雇用は働き方1.0に似ています。この歴史的な視点から、現代の働き方の多様性と変化を理解することができます。
日本は働き方1.0〜2.0、世界は働き方4.0
現在の日本社会では、働き方1.0から働き方2.0への過渡期にあるとされています。いうならば働き方1.5でしょうか。一方、世界では働き方4.0になっているといわれます。そう聞くと、日本はずいぶん遅れているように感じますね。でも、それは本当なのでしょうか?
働き方2.0→3.0→1.0と逆行した歴史の不思議
信長、秀吉、家康の各時代の働き方を、もう一度振り返ってみましょう。
- 信長時代の働き方: 明らかに成果主義。つまり、働き方2.0です。
- 秀吉時代の働き方: 垣根を越えてチームを組んで働いたため、働き方3.0といえるでしょう。
- 家康時代の働き方: 忠勤の代償にお家の安泰を保証されたため、働き方1.0といえます。
さて、ここで気になることが出てきました。時代が新しくなれば、働き方も新しくなるはずです。それなのになぜ、1.0、2.0、3.0ではなく、2.0、3.0、1.0の順に変化していったのでしょうか。
日本の働き方の逆行の理由
この逆行の理由は、時代の社会的、政治的な背景にあります。
- 信長時代: 戦国時代の混乱と競争が激しい時代で、成果主義が求められました。
- 秀吉時代: 天下統一後、協力と統合が重視され、プロジェクト単位での働き方が発展しました。
- 家康時代: 江戸時代の安定と秩序の確立が求められ、終身雇用と忠誠が重視されました。
このように、歴史的な背景が働き方の変化に影響を与えたのです。
現代の働き方との対比
現代の日本と世界の働き方の違いは、文化、経済、技術の進展など多岐にわたる要因に起因します。日本が働き方1.5に留まっている一方で、世界が働き方4.0に進んでいるのは、これらの要素が組み合わさっている結果でしょう。
しかし、歴史から学ぶことで、現代の働き方の変化と未来の方向性をより深く理解することができます。
新しい経営と働き方が求められる理由は、企業寿命にあった
新しい経営と働き方が求められる理由は、企業寿命にあった。時代の変化とともに働き方が進化するのは一般的な考え方ですが、歴史を振り返ると、その変化にはより複雑な背景があります。戦国時代の働き方の逆行、現代の企業寿命の短縮、そして働き方の変化との関連性。これらの要素が組み合わさって、働き方の変化が生じているのです。
「新しい時代に、新しい経営方法や働き方が生まれる」という先入観
なぜ家康時代に働き方が“逆行”してしまったのか。この問いを考えるには、「新しい時代に、新しい経営方法や働き方が生まれる」という先入観を捨てなければいけません。
そもそも人類の歴史は、過去の繰り返しによって紡がれています。平和・争乱、好景気・不景気は有史以来、ずっと繰り返されていますし、ファッション業界では20年で流行が周期するともいわれます。
世代交代と経営・働き方の変化
世代が交代するために、過去のものでもその時代を生きる人にとっては新しく感じられるのです。それは経営や働き方でも同じです。
例えば働き方4.0のギグエコノミーにしても、江戸時代の庶民たちがすでに単発受注式の働き方を実践していました。このような視点から見ると、働き方の変化は、歴史の中での自然な進化とも言えるでしょう。
企業寿命と働き方の関連性
現代の企業寿命の短縮と働き方の変化も密接に関連しています。企業が迅速に変化する市場環境に対応するためには、柔軟な働き方が求められるからです。
働き方のパラダイムシフト(革命的な変化)は、機械がすべての仕事を行うという働き方5.0まで訪れないでしょう。しかし、企業の生存競争と技術の進化が、働き方の変化を促進しているのは確かです。
働き方の変化の核心
とはいえ、働き方1.0、2.0、3.0の順にせよ、2.0、3.0、1.0の順にせよ、働き方が変化していったのは事実ですね。問題は、その変化はなぜ起きるのかということ。
働き方の変化は、単に新しい時代の到来だけではなく、社会的、経済的、技術的な要素が複雑に絡み合って生じるものです。これからの働き方を考える上で、これらの要素を深く理解することが重要でしょう。
次項からいよいよ本記事の核心に迫ります。
このセクションでは、戦国時代の三人の指導者、信長、秀吉、家康の時代背景を通じて、働き方がどのように変化したのかを探求しています。以下は、このセクションの見出しとリード部分です。
働き方が変化する理由を時代背景から知る
働き方の変化は、単に新しい時代の到来だけではなく、その時代の社会的、政治的背景に深く根ざしています。信長、秀吉、家康の各時代の背景を通じて、働き方がどのように変化したのかを探求しましょう。この理解は、現代の働き方の変化と未来の方向性を考える上で、非常に有益な洞察を提供します。
信長時代の背景
群雄が割拠する乱世。「鳴かぬなら殺してしまえ」の時代。自分の主君も明日には討たれるかもしれず、いつ浪人になるかわからない。
秀吉時代の背景
新たな時代の到来。「鳴かぬなら鳴かせてみせよう」の時代。昨日の敵も今日の友。何か新しい挑戦ができるのではないかとワクワクする。
家康時代の背景
天下安寧の幕開け。「鳴かぬなら鳴くまで待とう」の時代。幕府や将軍様の御威光はゆるぎない。ならば目立って悪評を立たせるより、地道にコツコツ、お家の存続が一大事。
主君の将来が不安定なら成果主義、安定していれば終身雇用
戦国時代の信長と家康の時代背景から、現代の働き方の変化を探る。不安定な時代には成果主義が求められ、安定した時代には終身雇用が望まれる。この歴史的な視点から、現代の企業寿命と働き方の変化を理解することで、新しい働き方の方向性を見出すことができるのではないでしょうか。
信長時代と家康時代の対比
戦国時代の信長と家康の時代の違いは、働き方の変化において顕著に表れています。信長時代は、主君がいつ滅亡するかわからない不安定な時代でした。一方、世の中が安定した家康時代は、主君に対して真面目に励んでさえいれば、安定した将来を手に入れることができました。
成果主義と終身雇用の選択
この対比から、主君の将来が不安定なら成果主義に、安定していれば終身雇用を望んだのです。主君の安定性を現代に置き換えると、企業の寿命といえるでしょう。
日本の高度経済成長と終身雇用
戦後、高度経済成長による目覚ましい発展を遂げた日本では、今日より明日が悪くなることはないと信じられ、終身雇用や年功序列制度が歓迎されました。しかし、バブルと共に成長神話も崩壊。企業にも寿命があると多くの人が身をもって実感しました。
企業寿命の現実
東京商工リサーチによると、2018年の企業の平均寿命は23.9年です。新型コロナの影響で、寿命は一時的かもしれませんが短くなると予測されます。定年退職まで50年働くとすると、企業の平均寿命はその半分にも達していません。それはつまり、いつ主君がなくなるかしれない信長時代といえるでしょう。
自然の摂理と働き方の変化
新しい働き方が必要だ、働き方を変えなければいけない、というのは、グローバルスタンダードに従うためだけではないのです。その時代に適した働き方を選ぶこと。寒くなれば服を着て暑くなれば脱ぐように、自然の摂理として働き方が変化していくのではないでしょうか。
戦国武将から学ぶべき働き方とは?
- 成果主義(信長時代):成果を上げることが評価され、それによって昇進や報酬が決まる。これは現代のパフォーマンスベースの評価制度に通じます。成果を出すためには、自己啓発やスキルアップが必要であり、自己成長の機会ともなります。
- 協力体制(秀吉時代):個々の成果よりもチーム全体の成果が重視される。これは現代のチームワークやコラボレーションの重要性につながります。個々のスキルや専門知識を活かしつつ、他のメンバーと協力して大きな成果を出すことが求められます。
- 忠誠と安定(家康時代):忠誠心が評価され、終身雇用が保証される。これは現代の企業における長期雇用や安定志向に通じます。しかし、これには柔軟性が欠け、変化の激しい現代社会に対応するのが難しい面もあります。
これらの働き方は、それぞれの時代背景や経営方針によって形成されました。現代の働き方もまた、社会状況や企業のビジョンによって変化し続けています。歴史から学ぶことで、働き方の多様性を理解し、自分に最適な働き方を見つけることができます。また、組織としては、多様な働き方を尊重し、それぞれの働き方が発揮できる環境を整備することが重要です。
まとめ<歴史から学ぶ働き方の変遷と未来の方向性>
この記事では、戦国時代の信長、秀吉、家康の時代背景を通じて、働き方の変化を探求しました。主君の将来の不安定性と安定性が、成果主義と終身雇用の選択に影響を与えることが明らかになりました。
現代の企業寿命と働き方の変化も、この歴史的な視点から理解することができます。新しい働き方の必要性は、単にグローバルスタンダードに従うためだけではなく、その時代に適した働き方を選ぶ自然の摂理として理解することができるでしょう。
最終的に、働き方の変化は時代の変化と密接に関連しており、過去の歴史から未来の働き方の方向性を見出すことが可能です。寒くなれば服を着て暑くなれば脱ぐように、働き方も時代と共に自然に変化していくのです。
この視点は、今後の働き方改革や経営戦略の策定において、非常に有益な洞察を提供することができるでしょう。
働き方は常に新しくなっていくのではなく、時代によって選ばれるもの。この先、江戸時代のように安定した世の中になれば、終身雇用など働き方1.0が再び注目されるかもしれませんね。
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