ごはんを食べる昭和の家庭がある
楽しみワークスとは、働きと楽しみの融合に関する情報サイトである。その中での昭和な食卓のコラム。なぜ、インスタできらびやかな食がもてはやされる時代にあえて昭和なのか。
昭和の中でも30年代から40年代は高度成長期で「モーレツ」の言葉があるように企業戦士が次々に生み出されていたイメージがある。ブラック企業は当たり前の印象を持つ人も多いかもしれない。
しかし、私の知る限り昭和は、そんなにあくせくしていなかった。おそらく、幼少期の私が過ごしたのは、地方都市の中でも古い町だったからだろう。
自営業が多く、いろいろな職業を身近に感じていた。八百屋の子、洋食屋の子、服屋の子、タバコ屋の子、鍛冶屋の子…など、毎朝、ネクタイを締めて出勤するサラリーマン家庭の子はほとんど記憶にない。多職種、多個性へのオマージュが理由のひとつ。
健康食は昭和の食卓にある
そして、もうひとつの理由は、健康食として日本食をフォーカスしたことにある。私は小学生の頃、全世界の食事を日本食にすれば、世界中の人のお腹を満たすことができると聞いたことがあった。
カロリーベースの話だと思うのだが、アメリカ人やアフリカの人が日本食を食べている姿を想像して、そうなればいいのにと素直に思った。
発展途上国に飢えや混乱があることは小学生でも知るところでもあった。季節の野菜、根菜類、魚介類、様々な穀類など、今でも伝統的な日本食は、バランスの良い食とされている。
よく働くには、健康であることが大切なことは言うまでもない。
さて今夜のごちそうは、ごぼうの土佐煮、おから、キャベツの塩もみ、揚げとわかめの味噌汁、玄米の混ざった白米である。パンチのある食ではないが、よくよく噛みしめて食べるにつきる。